宿命・役割を感じないなら業界から去れ!!
不動産業は、一歩引いて接することにしました。
一番大きな理由は、仕事に対する考え方の違いと価値観の違いです。
彼らは、簡単に考えすぎなんですよ。流通させるのも仲介するのも。住まいや家、建築の事をよく知った上で消費者のために仲介や販売しないといけないのですが、あまりにもあんちょこで。肝心なところで「私たちは建築のこと知らないので」と逃げます。
知らないならなぜ評価ができる? なぜ質の良い家なのに低評価をする?
建築のこと知らない人が家を仲介したりするから検査員が必要となるんでしょ。自分たちが見えれたら、いらないですよね。つまり私たちは何も知らないわからないと認めているようなものです。それなら仲介手数料からその費用を負担しろよ!と思ってしまいます。
これまでひとりで粛々と仕事をしていて、よく感じる事はサラリーマン時代と明らかに違うのは〝責任〟と〝宿命〟であります。
営業マンなどは、横着しようが、要領かまそうが、さぼろうが、勤務時間中にゲームしようが自分に嘘をついても給料日はやってくるのがサラリーマン。
事務所内での業務では、彼らの成績=報酬のために事務内作業者などのスタッフは、沢山の仕事量となのに彼らより安い給料がそもそもいかがなものかな?と業界の昭和感がおかしいなと感じていましたが、どうやらやっと崩壊しそうですね。もう令和。そんな時代じゃないんですよ。
根拠なき多くの勝手な言動で他のスタッフの方々にあれこれお任せしているのに〝営業〟というだけで、時代錯誤もはなはだしく、なぜにそんな高い評価されるのか?何を基準に見ているのか?などずっと不思議に感じてました。
優秀なスタッフよりできの悪い住宅営業マンが給料いいんですよ。。。おかしいですよ
それがこれまでの風習や常識と人は言うかもしれませんが、これからの時代は間違いなく崩れるかと思います。
サラリーマン時代でも、自分なりに最低限の責任を持って仕事をしていたつもりですが、サラリーマンの特権なのか、営業を含めまわりには責任感がない方々が沢山。責任から逃れる仕事の方法を言葉を身に付けている方が沢山おられた
任せたから一度やってみてみぃ
といわれるほうが、やりがいも仕事への充実感もあると思いますが、どうもそうではない様子で、この住宅業界でも
建築がしたい!
自分が設計した家を建てるのが夢!
などと初々しい時は、お金などそっちのけで情熱も持っていた方々が多っかたはずですが、結局はもっと報酬がいいところを…とか、あまり責任が存在しない仕事をしたい…
とか、気がつけば、仕事に対する基準がおかしくなるのも、生きていくうえで仕方がないのだろうか?とも思ったりします。
私の仕事はかなり特殊なので人を増やしたからと言ってできることでもない。過去にサラリー時代に何人かはスタッフとして就いたことがあるが誰もできなかった。捌くような仕事ではないのでサポートするためには、沢山の経験と知識が必要なので、唯一増やせそうなのは不動産業と思ってましたが…
それでも同じような感性を持った方々とネットワークにより人脈をこれからも増やして真面目でいいプロたちと楽しいネットワークを構築していき、それが社会へのつながりとも感じたりしておりますが、それぞれの生活があるのはもちろん理解していますが、どうやら私のネットワークを構築する相手の基準は、自分が信頼する相手として宿命よりこれらの報酬が基準となる途端に、色々な想いがさめている自分がいる事に最近気づきました。
本当に自分の宿命や役割より、まず報酬ありきか?とこの住宅業界人とハナシをしていてよく感じたりします。
起業して早くも13期目に入りますが、この責任に関しては、さらに重く感じながら
役割でもあり〝宿命〟でもある今の仕事に取り組むことになっております。責任のない仕事なんて見えないところでやって欲しいものです。
消費者の方々は、誰もが真剣そのものなので、そもそも家づくりをなめんなよ!ってな事を住宅&不動産&リフォーム業界の方々を見ていると感じます。