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平成を振り返る(自分史)

さてさて、今日で平成が終わりますね。

 

テレビやSNS、街のあちらこちらでもういい!というぐらい〝平成最後〟という文字を目にされたかと思いますが、新しい令和の時代となります。

  

振り返れば、平成元年1989年。
皆さんは何をされていましたか?

  

平成最後の日は、私の履歴を書きますので皆さんは、興味がないと思いますので、読まなくて今日のブログを読むのはお休みくださいませ。では・・・

   

平成元年の私は、まだ設計事務所時代の3年目でしたので、建築業界の右も左もよくわかっていない状態です。一応図面の読み書きを覚えるために設計事務所にお世話になったので、3年めどにやめるつもりでしたが、無責任なのは嫌ですから(笑)次に引き継ぐ若い(が暗くて覇気がない)社員が入ってきたので1年かけて教えて引き継ぎました。

 

そこからこの業界で何を目指すか?ですが、図面書きを一生したいわけでもないし、現場監督をしたいわけでもないし、知識も経験もない私が営業なんてできるはずないという事などから、何を目指していいのか見えないまま、大いに悩んでいました。

  

そんな時期に少し不思議な経験のスピリチュアルな話になるのですが、淡路島にある同級生の親戚の家に遊びに行くことになりましたが、あまりにも暇なのでその親戚の方の紹介で淡路島で有名な易学士の方(今ではかなり有名なご様子)に見てもらう事にしました。占い関係は、何も考えていない若さもあり、その当時は全く信じていなくて本当に暇つぶしでお伺いした記憶があります。

 

目の前に神棚があり、きれいな〝石〟が祀られていて、その方に名前と住所を言って、私は当時悩んでいたこれからの自分の仕事の方向性を拝んでいただいたら、

 

「あなたは、周りはこれから先も男に囲まれている。だから男社会で仕事をすることになる。あと〝再生〟の星が見えるので、〝再生〟の仕事をされればよい。だから、一番向いているのは医者だと言われましたが、学歴も家計もないので今からは無理。であれば、今携わっている業界での再生、住宅業界ならリフォーム増改築、もしくは業界再編なのでしょう!」

 

と言われたことは、いまだに環境含めて覚えています。

 

それを聞いた私が、スー――と光が射したのもこの時で「そうだ!リフォームだ!!」と気づいて、ここから目指すことになりましたが、昔の事を振り返れば、親からも変わっていると言われたことが、小さい時におもちゃのスロットマシーンをきれいにバラバラに分解しては、また復元(再生)するという事をしていたのもあるかもしれません。

 

設計事務所時代から、平面詳細図と展開図を書くことは好きでして、自分のこれから先の仕事は、リフォーム!という意識で就職先を探したりしていましたが、当時は、DODAとか正社員情報とかで本屋で立ち読みしては、いい記事が出ていないかを探していた記憶があります。

 

そこで最初に見つけた東急アメニックス。関西ではピンときませんし、今はあるのかも知りませんが、募集していたのは、川西営業所でしたが、そこまで行くつもりで履歴書を書いて封筒に入れてましたが、また立ち読みしたら、ライバル会社であるミサワグループ系のホームイングが、はじめて大阪に営業所を梅田の駅前ビルのフロアに開設する!ということで、そちらに急遽送り先を変更して、面接となりました。

 

当時は、まだ景気が良いので、面接に来る人は60人を超えていて、こりゃぁ無理かな?と思っていたのですが、設計事務所時代に書いたマンションの大量の設計図書を持っていたので、所長さんが面談の際にそれをみて、「この人で決まりだ!」と言われ決定。入社時は、現場を覚えてから営業をしたいので…と現場担当でしたが、女性営業設計社員のプロではない漫画の絵の提案に所長が嫌気をさして、急遽私が営業設計となりましたが、営業をやったことがない私は、色々な営業の心得的な本を大量に買って、結果的に私の師匠となる現場担当のK氏と同行して、営業の道へと進むことになりました。

  

それが、1991年からの4年間をそこで色々と学んで、当時はワープロでしたが、それで見積やチラシも自分で作ったり、独自の顧客管理の仕組みを作ったり、お客さんへ送る資料を作ったりして、新規客は毎月3割程度で、その他は、紹介とリピート率が7割で、そこでの営業設計の4年間の実績は、契約金額約4億、物件数60件、平均単価675万という成績でしたが、東京から来阪した営業部長との会議の喧嘩で退職して、当時リフォーム会社としての関西基盤の看板欲しさに偶然に朝日新聞の広告で見つけた大阪ガスグループの子会社の募集記事を見て面接をうけました。

  

これまた驚くほどの人が面談に来られてましたが、前回同様に設計事務所時代とリフォーム時代の図面を持ち込み、45分の3人に入り転職ができました。この時、既に長男は生まれてましたので、あの阪神淡路大震災の年ですから、リフォームの仕事は大変慌ただしい時です。

  

ところが、いざ初出勤するといきなり発令があり、子会社で一日も勤めることなく親会社への出向となり、大阪ガスの社員とガスショップへのリフォーム教育をするコンサルとして仕事をすることになり、70人ほどの社員を相手に講師をしたり、同行して新人君を教えたりしてました。

 

それにしても私が、適格者かどうかもよくわからないのに仕事ぶりを見ることなく、よくこの方々は出向させるな~と当時は思っていましたし、まだまだ人を教えるような段階ではないし。。。と思っていたのですが、あらゆることが以前のリフォーム会社の時よりもレベルが低くて、それでもリフォームの仕事が以前の会社よりも、次から次へとくるのも、まさしく会社のブランド力だけに消費者は騙されているなぁ~と心で思っていた記憶があります(笑)

  

この時代は、提出する価格と工事の対応や姿勢などの中身が伴っていませんでしたから、あちらこちらのトラブルはよく目にしましたが、それもあり私が血気盛んな年頃でもあったので、社内のいい加減な仕事をする人たちとよく激論をかわしていましたので、同じ会社のそういう方々から嫌われていたのは、肌で感じていました。

  

それでも自分の信念は、消費者のために満足する対応を…でしたので、この考えを曲げずに辞めることも覚悟して、大企業病の会社でずっと貫き通していたのですが、権力を持った仕事のできない、仕事内容ではなく、数字主義の上司から徹底的に嫌われ、会議で口ごたえして喧嘩して、子会社に戻すときには

 「この会社のグループにいる限り一生リフォームをさせない!」

と今では完全なパワハラで、出向が解かれ、親会社で問題を起こし返ってくる不良社員のレッテルが張られ、受け入れ先がなく、最終的に当時何年も赤字が続く会社にとってお荷物部だったハウスネット事業部に配属されました。それが1999年の事です。

  

この頃は、すごく大きなグループなのに上っ面ばかりで、指導する側も未経験者でよくわかっていないし、なんとなく仕事をしている感じがして、リフォームすらちゃんとできない最悪な会社に来てしまったなぁ~と転職したことを後悔していて、配属されたハウスネット事業部は、工務店を加盟店として建材や資材などを売る部門で、リフォームを天職と思ってリフォーム以外に興味がない私は、会社を辞めるつもりで嫌々会社に出社していた記憶があります。

  

もちろん新築を知らないわけでもなく、ただ興味がないというだけだったので、当時のこれまた出来の悪い割に生意気な親会社の社員から引き継いだ加盟店をひとつひとつまわって、おそらくサラリーマンの立場で中小の工務店や建設会社の経営者と話す機会など、これから先2度とないだろうと思って、事務所でぼーっとしているよりましなので、できるだけ会って話すようにしました。

  • どうやって集客して仕事を取っているですか?
  • これまでのお客さんから紹介やリピートを取ってますか?
  • 定期的に何か作成してお届けされていますか?
  • アフターしっかりされていますか?
  • なぜ用意されているモデルハウスを使わないのですか?

などなどをぶつけてみたら明確に答えれる方がおられませんでした。

  

この程度の意識しかない加盟店だから、彼らは加盟することで何かを期待しているのだろうか・・・とわかりはじめ、私のリフォーム時代の顧客管理の方法やチラシのハナシ集客のハナシや紹介やリピートが来る方法などのノウハウを各加盟店の経営者に伝えたところ、これをきっかけに次から次へと加盟店が増え、私の担当する地域だけが増え続けました。 

 

それでも中小の工務店などが、プラン力も上がり、提案力も見積力も営業力もいずれもしっかりできるようになるかと言えば、簡単にはすぐにできませんので、この時に中小の工務店の大きな課題が見え始めましたわけです。

  

並行に建築家への訪問も興味があったので時間を見つけて7-80人近く訪問して、彼らが嫌がる質問をアンケートとしてぶつけたのですが、これまた当時明確に答えれる方はおられませんでした。その質問は

  • なぜ床材やキッチンなどの費用が上がれば設計監理費が上がるのですか?
  • 監理も行くのであれば何故報告書を書かないのですか?
  • それは何回行くのですか?なぜそれほど必要なのですか?行かなくていいように図面にしっかり書かないのですか?1回あたりいくらを想定しているのですか?
  • 同じ規模の大きさなら同じ程度の図面の作業量なのになぜ工事費に対しての設計監理料なのですか?

てな事をお聞きしましたら、あるそこそこ実績をお持ちのえらい先生から「帰れ!不愉快だ!」と水をかけられました。もちろん大阪ガスにクレーム(?ではない ただの理不尽な文句)がいって、私まで小言が来たことは言うまでもないですが、私がその方に水をかけられたことは誰も興味がないようでした(笑)これって凄くないですか?

   

ここから担当となってからは、少し様子がわかりはじめ、販促では、独自でチラシをつくり、当時ユニクロのフリースのカラーが多色のチラシを参考にして、ざ・キッチンという企画して、メーター10万で各メーカーの扉を集め、チラシを作成したらこれが大ヒットして注文が沢山来たのですが、こうなれば、大阪ガスのショップからクレームが来る!という事で中止にさせられました。

  

次に考えた新聞広告で、消費者向けに小冊子を作成してそれを配布ための広告のキャッチコピーが、VIPらしい不動産会社から大阪ガスにクレームが入り、そのキャッチコピーが中止となり、インパクトのないキャッチコピーに変わり問い合わせが激減するということで、この大会社の看板がどれだけ邪魔になった事か・・・(笑)

  

しかしながら、これらの成果が評価されて、仕事は減るどころか増えるばかりで販促担当として住宅事業部やリフォーム事業部でも携わり、年間2000万の販促費を使ってあれこれテストを重ねていけました。

 

その販促担当として営業会議に参加した際に、担当者によって利益率が大きく差がある事が明確にわかり、利益の取りすぎやそれでは実質赤字など利益率がバラバラでしたが、会社の規定を超えても足らずとも、とにかく契約してきたらと一列に並んで報告されることに大きな違和感を覚え、おそらく人が良い建て主ほど、きっと高い利益率が取られているのだろう!と気づいて、どこの会社でも同じで、きっとこの人たちやりたい放題の世界だなぁ~と考えはじめ出したのです。

   

これらの経緯もあり、リフォーム時代に感じた「なんだこの利益率は?」と「なぜここまで必要となるのか?」の問題とか、中小の工務店の実態や建築家の古いままの考えや大阪ガスを通じて子会社に圧力をかけるハウスメーカーや不動産会社の理不尽さを肌で感じて、結局は、この住宅&リフォーム業界では、誰一人消費者のためと考えていないと認識して、今から17年前の2002年ぐらいから家づくりの仲介業(サポート)の仕組みづくりを独自で勝手にはじめましたので、当初はどこもしておりませんでしたので、少なくとも関西(西日本)で最初!とはっきり言えるかと思います。

  

当時のリクルートへの雑誌掲載で雑誌内で問合せ数が圧倒的一位となり、それに目を付けたその雑誌社が、結局は同じような事(見積もプランも一切口を挟まないで紹介するだけなのでプロ側の販促支援なので全く違うものですが)をはじめるので・・・とわざわざ横浜の本社から大人数で挨拶に来たのが、現在のあのスー〇であります。

   

こうなれば弊社は、その雑誌にある日突然先方の勝手な都合で掲載できなくなり、彼らのあまりにもその身勝手な仕事ぶり、ある意味彼ららしい態度ふるまいもあり、販促がほぼできなくなったので、手間はかけるが、できるだけお金を掛けないネットによる集客に注力し始めたのであります。

 

またこのころからブログを書き、既になくなりましたブロガリアメブロをはじめ色々と変わってきましたが、今ご覧いただいている通りこれまで一日も休まずに書き続けています。

  

当時のハウスネットでは、問い合わせやページビュー数は、何十倍の売り上げがある住宅事業部や何倍も社員がいるリフォーム事業部よりも多くなりましたが、会社内では私と事務のSさんのたった2人だけの部でしたので、会社にとっては、目の上のたんこぶでその大人数のリフォーム事業部よりも黒字にもなっていたので、潰すこともできないよくわからない部となってしまいました。

  

この頃に変革期と感じた私はもう一度、人のご縁でスピリチュアル的な経験をしたので記録を残しているのですが、詳しく書くとそれは2006年4月22日土曜日のAM10:00。堺のある場所に紹介でお伺いしました。少し大きめの、でも普通のおうちでした。

  

まず玄関で迎えたてくれたのが、猫。両目の色が違う猫でした。その猫に招かれるように奥さんにもお出迎えされ2階の広い居間へ。

  

雑談もなしに早速・・・と名前と生年月日だけをお伝えして、同行した嫁も同じく子供の生年月日もすべてお伝えしましたが、既にその途中から時々何かを見ようと震えるように目を閉じて色々と見ているようでした。

  

今のお仕事はなにを?と聞かれ、会社名と説明しにくいのですが建築業を・・・と言っただけなのですが、するとあなたは〝情報伝達者〟として優れた才能を持っています。色々聞いたハナシを一度消化して、わかりやすく説明する才能があります!といわれ、今の仕事はまさしくそれなので、凄く驚きました。

 

しかし、その時は独立はいますべきでない!とまず言われ、今独立すると家族に迷惑をかけるとはっきり言われました。その時期は自然と迎えることができるし、まだ色々なブレーンと沢山知り合うことができる時期ですので、歯車のひとつになることがつらい性格ですけど、家族の為に続けてくださいといわれましたが、今思えば少し早かったので迷惑かけたので当たっているかもですね。

 

あと家族思いのようですが、基本は自由になりたいタイプで、枠にはまりたくない性格。一人身であれば独立は否定しないが、今はやるべきではない。はっきりと言われました。今続けていても、それでも今の収入にもっとプラスされるようなことになる方向で進んでいきますと言われましたが、私が短期だったのかもしれませんね。

  

例として、個人的な知り合いの人から頼まれて好意的にしたことが収入になったり、会社をおこすことではないですが、いずれ必ずそうなりますと言われました。

 

あと私は元々早死にをしていたらしいのですが、先祖が凄いチカラで守ってくれているらしいです。だから仏壇に朝と夜に感謝の意で手をあわせる事が大事です!と言われました。それが息子に継がれていくらしいですが、今思えば夜はしていないのでするようにします。

 

指先のしびれは、当時毎日飲む缶コーヒーが原因らしく、水をできれば大量に毎日飲むことを薦められましたが、今では毎日大量に水を飲み缶コーヒーは飲むことがなくなりました。既に神経の状態は悪くなりかけているのですぐに実行を勧められましたが、今は指先のしびれは、事故以来ずっと続いていますから、ぞっとします。

 

ファイナンシャルプランナーセミナーも勧められ、元々興味があったのでそれも驚きました。ちなみに嫁は、かなりのパワーの持ち主で3つの職を並行に持ちなさい!と言われています。ずっと忙しいタイプらしく、どうせ忙しいなら収入になる仕事でと。

 

また息子は、語学が好きで将来物書きらしいですが、彼のブログはかなり立派ですが、今はまだその兆候は見当たりませんが、この当時は、時間あればなんかノートに必死で書いていました。外では相当な気遣いやさんのようで寝ていても気をはっているということで確かにそういうタイプですが、でも熱しやすくさめやすいタイプで、目標を持たせ達成させるとほめてあげるといいと。

 

ちなみに私も嫌いなことは3日もできないタイプだろう!と言われました(笑)が当たっています。

 

長女の性格は、物欲が凄くて一番お金がかかると。やりたいことをやるタイプで凄く面白い人生を送るらしいですが、これも今見てもそんな感じです。
  
一番チビは少し腎臓が悪いので食事に気をつけることと活字が好きなので本を与えると色々な知識が入っていくでしょうと。3人の中でも読書好きだし、一番頭が良いし。そういえば幼稚園に行く前に本をすらすら読むようになっていた。そんなこと考えると食事に気をつけさせないといけないです。

 

子供3人ともほめて伸びるタイプらしく、怒って教えることは駄目のようですが、これも当たっており、まぁ~びっくりするぐらいすべて見えているような感じでした。

 

守護霊に関しては、私には若い女性がついているらしいです。働け!と尻を叩いているらしく、嫁は、体のごっつい男性でちょっと短気。だから、嫁は絶対に短気になっては駄目とも。

 

前世が驚きで嫁さんの前世は私の前世のお母さんで、面倒をよくみていたのだが 女遊びにはしって、家を出て栄養失調でがりがりになって早死にしたらしいです。今の時代に生をうけても、結局嫁は、母親のように自由気ままに生きる旦那の面倒をみるのが自然らしいです。自由にさせるのはいいが、食事に配慮してあげてという忠告がありました。

 

一番下の娘の前世は、嫁さんのだんなさんらしいです。だから、お母さんの顔色をみて気に入ることばかりするらしく、ほめられることをしようとし、ずっと一緒におりたいらしいです。
 
嫁が小さいときになくなったお父さんは、自分のことで精一杯らしく、逆に私の親父と姉はまだ私の事を心配しているらしいです。(さすがにこの話をするときは泣いてしまいました)

 

ということで、この時の結論は独立は先送り、そのときは自然と来る。それよりも仕事を続けながら色々な人と知り合って色々とすることが出てくるらしいです。それがすべて自然な形で今の収入にプラスされてくるということで、そういう力は昔から持っています!と言われたので、しんどいけど沢山の人に家づくりの役にたてていると自負する今の仕事を今の会社の看板でもう少し続けてみます・・・というメモが残っています。

 

なお、この方はもうこのようにみることは既に辞めていたらしいのですが、嫁のパワーにアドバイスをということで特別にみてくれたようですが、私たちが伺った2年前には、当時のロッテの今江選手もおうちに来たようです。

  
これも前のスピリチュアルのきっかけと同じだと思いますが、単なる占いは、ほとんど信じないのですが、名前と生年月日だけでここまで読まれると信じないわけにはいきませんでした。 

 

ここから先は、ご相談があり家づくりを仲介したお客さまが、当時まだブームでしたオール電化住宅を希望される方も増え始めたので、私が自然に大阪ガスの看板から離れるようになっていき、会社にこの自分で立ち上げた家づくり仲介業をもって出ていくことを伝えて独立したのです。これが2007年で今年の7月でひとまわりの12年を終え13年目に入ります。

  

こんな事から私の仕事のベースは全て平成から始まり、独立してひとまわりで家づくりの仲介業をはじめて17年にもなります。

  

幸いクレーマーの要素がある方は、紹介する前にお断りして、いい方だけをいい会社に紹介することをしておりますのでトラブルはなく、1棟目の福井さんの家からどの家をお伺いしても、歓迎され喜ばれている事が私の誇りであり、やはり誰も不幸にしないこの仕事が大好きみたいで、生きがいとなっています。

  

令和の時代も、平成と変わらずここから何年続けれることが出来るかはわかりませんが、こちらの無料ブログやホームページを通じて全国の一人でも何かのヒントや参考になればと思って、死ぬまで書き続けるつもりです。

 

それだけの皆さんに伝えるネタはまだまだありますので、明日からの令和の時代もよろしくお願いします。

 

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