〝こだわり〟を捨てる
〝こだわり〟を捨てる
よくこの課題にぶつかります。
あまり頭の回転のよろしくない私には、むずかしいのですが、哲学的な本も実に参考になりまして。。。
結局は、あと少ししか残された日がないとすれば、何をする?誰のこと考える?という事に突き当たります。
私の場合、今なら、まず現在サポート中のお客さんが路頭に迷わせないように信頼できるプロたちひとりひとりに説明して、引き継いでいくと思います。
次にずっと大切にしたいと思っている知人・友人・同僚・身内、これまでお会いできた
お客さんにお礼の挨拶をすると思います。
たぶん、それだけで終わりそう。
結局は、そんな方々なんでしょうね。。。私の大切な人というのは。
親戚の方々には、怒られるけど最後に後回しかな?と思ってます。
例え、自分と相性もよろしくなくて、心地よくもなくて、価値観も考えも違う相手であっても、所詮変えることなんてできないし、変わるはずないし、こちらも変えるつもりはないのですが、そんな私でも、大切な関係を継続したい人なら受け入れてくれています。
そもそも自分が変えるつもりもないのに相手に求めるわけにはいかないし・・・
となれば、変わりようのない、変えようのない事にこの脳みそ使うのは、究極の時間と
エネルギーのムダ遣いであり、限られている時間を使うなら大切な人のために使った方がいい・・・という事を年齢と共によく感じるようになっています。
つまらない事、プラスにならない事をウジウジと考えるくらいなら、〇〇さんと楽しい話をしよう! 〇〇さんの事を考えよう!と思って
『元気してますか?大丈夫ですか?』
っていう電話やメールをしたり、向こうからも何気に送ってくれたりするものです。
これは、ずっと続けています。
別にすぐに会うというわけではないですが、お元気ですか?って。
たぶん、これは自分の世界でのあたりまえの感覚です。
会社でよくあるのが、自分とは正反対でとっても嫌な人がいたとします。
例えば、感じも態度も悪い、礼儀知らずで横柄でもあり、機会があって注意しても直そうとしない、直らない方。生きざまが、全然尊敬できない人
そんな方だとわかっていながら、今後も嫌な思いしながら時間をかけて、その人を直そうとします?
上司としてや経営者なら、ともなくそうでもない立場なら、時間の経過とともに、害さえなければ、できるだけ触れないように、考えないように、見ないようにするかと思います。
でも、きっとこいつは直る!という例えば新人君なら、とことん注意して、うるさい先輩になるということはありえるかと思います。
でも、同僚で、はぁ?という方の場合、一度や二度は、何らかの警告や注意をするかもしれませんが、それでも全く直らなければ、放置しますし、そもそも視線をそらすだろうし、自然に考えないようにするかと思います。
もちろん、他の理由などで会社を辞めてしまえば、その はぁ? というおかしな態度について全く考えなくて済みます。
日頃は、皆さんは、何かと忙しくて別に暇というわけでもないんですから。。。ねぇ~
あれ?? ん?? こんな話をするつもりはなかったのですが、なかなか難しいのは
いい人Aさん、いい人Bさん。どちらもいい人であっても、誰とでもうまくいくとは限らないもの
これが相性であり とってもむずかしいものだという事であり、家づくりをしていてよく感じる事です。
つまり、当たり前のようですが、誰かの大切な人同士が、そのお互いが大切な人であるとは言えないという事です。
だから、むずかしいと思うんですけど、これだから人生楽しいんでしょうね
なにかを〝犠牲〟にしたり、なにかの〝欲〟や何らかの〝こだわり〟がない限り。
だからこそ 家づくりは一筋縄ではいかないものなのです